「ごめんね」と、20代の私に謝った日 押し入れから始まった一人暮らしの私の終活
4月のよく晴れた午後のことでした。
「今日こそやろう」と思い立って、何年もそのままにしていた押し入れの前にひざまずいた。重い扉を引いた瞬間、むわっとした空気が顔にあたる、古い紙のあの独特の匂い。
奥をのぞき込んで、思わず苦笑いしました。
こんなにあった?やっぱり、すごいことになってるな。
見なかったことにして扉を閉めたい衝動を、ぐっとこらえました。
友人の一言が私を動かした
整理しなければと思い始めたのは、ずっと前のことでした。
でも「そのうち」「気が向いたら」と先送りにしているうちに、何年もたってしまっていたのです。一人暮らしだと、誰かに急かされるわけでもないし、いつまでにしなければいけないという締め切りもありません。だから余計に、後回しになってしまうのです。
背中を押してくれたのは、友人のひとことでした。
親族を急に亡くして、一人暮らしだったその方の部屋を片づけることになった友人が、疲れた顔でこう言ったのです。
「何が本人にとって大切なものだったのか、私たちには全然わからなくて。一つひとつ手に取るたびに、正解のない問いを突きつけられているみたいで、本当に途方に暮れている。」
その言葉が、胸に深く刺さりました。
他人事じゃない。私も一人暮らしです。もし私が突然倒れたら、この部屋に来るのは誰だろう。きょうだい?普段あまり会うことのない親戚? 仲のいい友人? その人たちが、私の荷物を前に立ち尽くしている様子がありありと浮かびました。
それに、これを知って、さらに背筋が寒くなりました。
「もしものこと」が起きたとき、約70パーセントの人が、自分の医療やケアの望みを自分では伝えられなくなるといわれているのです。
物の整理だけじゃなく、自分の気持ちをどこかに残しておかなければ。
自分のものは、自分でなんとかしておかなければ。
そう思った翌週、私は押し入れの前にいたのです。

出てくる出てくる「あの頃の私」
まず出てきたのは、旅先で集めた絵葉書の束。ゴムバンドで留めてあったけれど、ゴムはとっくに劣化していて、触れた瞬間にぷつりと切れました。イタリア、スペイン、フランス、シンガポールなど、あちこちの景色が床の上にぱらぱらと広がりました。
ここ、行ったな。このとき一人でバスを乗り間違えて、地図も読めなくて、途方に暮れたんだった。
次は、お稽古事の道具。「自分の居場所を作りたくて」と始めたやつ。数年続けて、いつのまにかやめた。道具だけが、きれいなまま残っている。
読もうと思って買ったまま読んでいない本。もらったけれど使っていない食器。どこで買ったか記憶すらない置物。
出しても出しても、湧いたように出てくる。
そして押し入れの一番奥から、それは現れました。
古い段ボール箱。自分の字で「大切なもの」と書いてあります。
大切なもの、か。
少し笑いながら、ガムテープを剥がしました。
中に入っていたのは、アルバムが数冊。日記帳。雑誌の切り抜きを貼り込んだスクラップブック。好きだったコンサートのチケットの半券。そして、見覚えのない小さな手紙の束。
アルバムを一冊、手に取りました。
おそるおそる開くと知らない人がそこにいました。
いや、知っているけれど、一瞬わからなかった。それくらい、その人は若かった。ぱっちりとした目。今より少し尖った顎のライン。流行りのワンピース。楽しそうに笑っている正面の顔。
これ、私だ。
そのページをじっと見ていたら、胸の奥から自分でも思いがけないひとことが浮かんできました。
「ごめんね。」
自分でも驚きました。懐かしいなとか、若いなとか、そういう感情より先に謝りたい気持ちが来るなんて。
これまでの忙しさにかまけて、この過去の自分が大切にしていた夢も、積み上げてきた思い出も、雑然とした押し入れの中に押し込んだままにしていた。今の私を作ってくれた過去の自分に対して、これはあまりに不誠実だったんじゃないか、そんな気持ちが浮かんできました。

日記帳を開いて座り込んだ
次に日記帳を手に取りました。
20代後半のものでした。就職して数年、仕事にしがみついていた頃の字は丸くて、でもどこか力強い。インクが滲んでいるページもあって、それが当時の必死さを物語っているようでした。
ぱらぱらとめくりながら、読みました。
「また上司に怒られた。悔しくて、帰り道に泣いた。でも絶対に見返してやる」
「今日は少しだけうまくいった。自信がついた気がする。もう少し頑張れるかも」
「ひとりでいることが、急に心細くなった夜。誰かに電話しようとしてやめた」
「将来、どうなるんだろう。このままでいいのかな。答えが出ない」
読みながら、だんだん手が動かなくなってきました。
あの頃の私は、毎日が真剣勝負でした。仕事で認められたくて、自分の居場所を作りたくて、将来への漠然とした不安を抱えながら、それでも前を向こうとしていました。誰かに頼るわけにもいかなくて、ひとりで転びながらも進んでいたのでした。
シングルでいたので、何でも自分で判断して決めてきました。誰かと相談して出した答えより、夜中にひとりで悩んで出した答えの方がずっと多い人生でした。その重さと自由さを両方抱えながらここまで歩いて来ました。
なのに私は、そのことをすっかり忘れていました。
気がついたら、押し入れの前にぺたんと座り込んでいました。日記帳を胸に抱えて、しばらくそのまま。
あなたが踏ん張ってくれたから、今の私がいるのに。ちゃんと覚えていてあげられなくて、ごめんね。
誰に言うでもなく、心の中でそう、謝っていました。

「私が片づけなければ、誰も片づけられない」
どのくらい時間が経ったでしょう。
ふと我に返って窓の外を見たら、午後の日差しがずいぶん傾いていました。床には、段ボールから出したものが島のように広がっています。アルバム、日記帳、切り抜き、道具、手紙など「私の歴史」がそこに散らばっていました。
そのとき、ある考えがふと頭に浮かびました。
もしこれを、私じゃない誰かが片づけていたら。
この日記帳の意味を知っているのは、私だけ。あの切り抜きが何のためのものか、あのお稽古道具にどんな思い出があるか、あのチケットの半券がどのコンサートのものか、それを知っているのは、この世界で私ひとりだけ。
家族がいれば「これ、大事にしてたよ」と記憶を補い合えるかもしれない。でも一人で生きてきた私の部屋には、私の頭の中にしかその記憶がないのです。
もし私が突然倒れて、普段あまり会わない親戚がこの部屋に来たとしたら。日記帳を前に「捨てていいのかな、でも……」と途方に暮れる、あるいは「捨てられない」と何十年分もの荷物をそのまま抱えてしまう場面が目に浮かぶ。どちらも、申し訳ない。
しかし、何より寂しいのは、私の人生の断片を、私以外の誰かに「処理」されてしまうことです。
そこで私は決心しました。
自分のものは、自分で片をつける。
それは一人で生きてきた人間としての揺るぎない矜持でした。

「終活」への誤解を捨てた日
正直に言うと、「終活」という言葉にはずっと抵抗がありました。
なんとなく暗い、自分の「終わり」を直視するような、後ろ向きな作業のような気がして、「まだ早い」「気が向いたら」と何年も先送りにしてきたのも事実。
でも、このときにはっきりわかりました。
終活は、死の準備じゃない。
自分の人生を、自分の目で最後まで見届ける作業なんです。言い換えるなら、これまで頑張ってきた自分への、最高の恩返しでもあると思います。
あのアルバムの中の私に会えたのも、日記帳の文字に触れられたのも、自分で整理したからこそ。誰かに任せていたら「よくわからないから処分しよう」で終わっていたかもしれないのです。
終活のイメージを、こんなふうに変えてみてください。
「死後の片づけ」ではなく、「自分の価値観を見つめ直す作業」
「遺される誰かのため」ではなく、「自分自身が納得して、豊かな今を過ごすため」
「義務的な後ろ向きの作業」ではなく、「信頼できる人と対話を重ねる、人生の棚卸し」
そう思えた途端、押し入れの前に座っていた私の気持ちが、すうっと楽になりました。
物だけじゃない。「気持ち」も整理する
整理を進めながら、もうひとつ大切なことに気づきました。
終活には「物の整理」だけではなくて、「自分の意思の整理」も含まれるんだということ。
冒頭でも触れましたが、「もしものこと」が起きたとき、約70パーセントの人が自分の医療やケアの望みを自分では伝えられなくなるといわれています。一人暮らしの私にとって、これは他人事ではありません。
そこから私は、ノートを一冊用意して、少しずつ自分の気持ちを書き留めるようになりました。
まず書いたのは、「自分史」のようなもの。学生時代に夢中になっていたこと、仕事で大切にしてきた信念、これまでの人生で嬉しかったことや悔しかったこと。それは誰かに見せるためじゃなく、自分のルーツを自分でちゃんと知っておくためのものでした。書きながら、「ああ、私ってこういう人間だったんだな」と、改めて気づくことがたくさんありました。
次に書いたのは、お金のことです。預貯金、保険、不動産。それから、最近増えてきたデジタル資産、SNSのアカウントやアプリの契約なども忘れずに。
負債も相続の対象になるので、こちらも正直に書き記しました。ひとつ注意したいのは、銀行や携帯電話の暗証番号は絶対にノートに書かないこと。万が一ノートが人の目に触れたときのために、これだけは守るようにしています。
そして一番時間をかけたのが、医療やケアについての自分の気持ちでした。
もし自分が意思を伝えられなくなったとき、どんな処置を望むのか、望まないのか。胃ろうや人工透析、人工呼吸器など普段は考えたくないことだけれど、一つひとつ向き合ってみると、「私はこう思う」という意思がはっきりあることに気づきました。
これを「人生会議(ACP=アドバンス・ケア・プランニング)」と呼ぶそうです。難しい言葉ですが、要は「もしものときのことを、信頼できる人と話し合っておくこと」。
「一人暮らしだと、相談できる家族がいない」と思っていたけれど、そんなことはないんです。長年お世話になっているかかりつけの先生でも、心を許せる友人でも、顔なじみになった近所の人でもいい。「私はこういう最期を望んでいる」という気持ちを、誰かひとりと共有しておくだけで、心がずいぶん軽くなりました。
それからもうひとつ、一人暮らしの方に特に伝えたいのが「死後事務委任契約」という選択肢です。亡くなった後の手続きを、親族以外の信頼できる人や専門家に生前から依頼しておける契約のこと。「誰かに迷惑をかけたくない」という気持ちが強い一人暮らしの方には、知っておいて損はない制度です。
また、確実に財産を誰かに渡したい場合は、エンディングノートには法的効力がないため、公正証書遺言の作成も視野に入れておくといいかもしれません。「まだ早い」と思わず、元気なうちに一度、専門家に相談してみることをおすすめします。
「捨てる」ではなくて「見送る」
物の整理に話を戻しましょう。
整理を続けるうちに、気持ちの変化がありました。
最初は「要る・要らない」で判断しようとしていたのですが、でも途中から、「要るか要らないか」ではなくて、「過去の自分との時間は、終わりにしていいか」という基準になってきました。
そこで考えを変えました。
捨てるんじゃなくて、見送るんだと。
長い間、一緒にいてくれてありがとう。あなたがいた時間は、ちゃんと私の中に残っています。だからもう、ここから先は身軽に行かせてください。
そう思いながら手放すと、不思議と罪悪感がなくなり、むしろ清々しい気持ちすら生まれてくるのです。
お稽古道具は、丁寧に拭いてから手放しました。旅先の絵葉書は、特に好きなものだけ残して、あとは写真に撮ってデータで保存しました。かさばるアルバムも同じように、データ化することで物を減らすことができました。
日記帳は、最後にもう一度だけ読んで処分することに決めました。誰かに読まれることなく自分で終わりにしたかったし、何よりあの頃の私が、そうしてほしいだろうと思ったからです。
一気にやろうとしなくていいんです。一日に段ボール一箱、気が向いた時に引き出し一つ。完璧を目指さず、小さなところから始めるのがいちばんです。それを続けていくうちに、部屋が軽くなり、心が軽くなり、気持ちまで変わってくるのです。

整理したら「これから」が見えてきた
押し入れの整理が一段落した頃、部屋の空気が変わったことに気づきました。
スペースが生まれただけでなく、心の中にもスペースができた感じです。過去のものを丁寧に見送ったことで、「今の私」がくっきりと表れたような気がしています。
今、好きなもの。今、大切にしていること。これから、やってみたいこと。
そういうことが、以前よりずっとはっきり見えるようになりました。
一人で生きるということは、自分の人生の全部を、自分でデザインできるということでもあります。誰かの都合に合わせる必要も、誰かの目を気にする必要もありません。この部屋も、この時間も、この先の選択も、全部自分のものです。
終活は、死の準備なんかではありません。
自分の歴史を自分の目で見届けて、そこから先を身軽に生きるための、出発点なんだと今は思っています。
遺品になる前に自分で会いに行く
あの日、押し入れの前で出会った20代の私は、今も私の中にいます。
ただ、もう段ボールの中に閉じ込めてはいません。
きちんと向き合って、きちんと話しかけて、「よく頑張ったね」と言ってあげられた、それだけで、胸の奥がすうっと軽くなった気がしました。
あなたの押し入れの奥にも、忘れていた「若い頃の自分」が、ひっそりと待っているかもしれません。
遺品になる前に、自分で会いに行きましょう。
それがこれからを身軽に、すっきり気持ちよく生きていくための最初の一歩です。
一人で生きてきたなら一人で締めくくる覚悟を持つ、それは寂しいことではありません。
自分の人生を最後まで自分のものにする。それが、いちばん潔くて、いちばん美しい生き方だと私は思っています。
