その「見栄」にいくら払い続けますか?
少し前の話をさせてください。
以前の職場で仲良くさせていただいていた後輩のCちゃんと久しぶりに電話したとき、開口一番こう言われたんです。
「ねえ、私って別に贅沢してないつもりなんだけど、毎月なんか苦しいんだよね。なんでだろう」
「わかる」と答えながら、私は苦笑いしていました。
それ、10年前の私そのものだったからです。
Cちゃんはブランドバッグなどブランドものを集めているわけでもないし、高級レストランに通っているわけでもありません。堅実で、むしろ「しっかりしてる」と周りから言われるタイプの人なのです。なのに月末になると財布がスカスカになるというのです。
「どうしてだろう?」と本当に気づかないんですよね、最初は。

10年前の私のクローゼットの話
当時の私のクローゼットには、一度も袖を通していない服が何着かありました。
同僚や後輩の結婚式に着ていくために買ったワンピース。「このくらいのバッグは持っておかないと」と思って購入したブランドのトート。会社の飲み会用に揃えたちょっといいパンプス。それから、誰かが泊まりに来たときのために買った、使い心地のいいタオルセット。
どれも「必要だから」買ったつもりでした。
でも本当のところは「誰かに見られたとき、恥ずかしくないように」だったんです。
そのことに気づいたのは、ある休日の午後、家計簿を広げながらぼんやりとクローゼットを眺めていたときのことでした。
「これ、誰のために買ったんだろう」
なんとも言えない気持ちになりました。笑えるような、泣けるような。ずっと「自分のために」と思っていたのに、実は全部「他人の目のため」だったなんて。
「見栄」は気づかないうちにやってくる
「見栄を張っている」という自覚は全くありませんでした。
ブランドものは私にとっては高嶺の花、縁遠いものだと思っていましたし、高級レストランや夜な夜な飲み会に参加しているわけでもない。ただ「普通の生活」を送っているつもりだったのです。
でも家計簿を丁寧に見直したとき、ハッと気づいてしまいました。
お金が逃げていた場所は、全部「誰かの目」を意識した出費でした。
SNS用に行った「映える」カフェランチ。同僚に話を合わせるためだけに観た映画。「このくらいの保険には入っておかないと」と、内容をよく理解しないまま契約した保険。来客があるかもしれないからと揃えた、誰にも見せたことのない高級な食器セット。
……最後の一つ、自分で書いてて笑えてきました。
誰も来ないのに。
でもこれ、笑い話ではないのです。この「来客仮想コスト」、実はとても多くの人が払っているのです。「いつか誰かが来たときのために」という来るかどうかもわからないお客さんのために、今この瞬間の自分のお金と空間をつかっているわけです。
誰かに見せるためでも、誰かと使うためでもなく、「もし見られたときに恥ずかしくないように」というひどく漠然とした不安のために。

見栄の「維持費」を計算して震えた
ある週末、思い切って「見栄コスト」を紙に書き出してみました。
交際・娯楽では、乗り気ではなかったのに断れなかった飲み会や食事会。月にすると約15,000円。
衣類・美容では、流行に乗り遅れないようにと買い続けた服やコスメ。月に約10,000円。
住まいまわりでは、「もしかしたら誰かが来るかも」を意識した余分な備品や必要以上の部屋の維持費。月に約20,000円。
合計、月45,000円。
年間にすると54万円。
正直固まりました。
「節約しなきゃ」と言いながら、毎年54万円を「他人の目」のために支出していたのです。老後が不安だと言いながら、それだけのお金を見栄の維持費として払っていたのです。
これを20年続けたら、利息を除いても1,080万円。
笑えない話ですよね。でもこれ、本当の話なんです。
ここで考えてほしいのは、この計算はなにも「特別な人」の話じゃないということ。
一回一回はせいぜい数千円。でもそれが積み重なると年間54万円にもなる。大きな散財じゃなく、小さな見栄の積み重ねが、こんなにも気づかないうちに家計を圧迫していたのです。

見栄が生む「二次被害」の話
お金だけではありません。
見栄を張り続けると、じわじわと心も削れていきます。
「きちんとした人」でいようとすることで、常に緊張していて気を抜けないから疲れている。そして、その疲れを癒すために、また余計なお金を使うのです。
深夜のネットショッピング、心当たりありませんか。
「今日は頑張ったから」と自分に言い聞かせて買う、いわゆる「自分へのご褒美」です。
「これくらい、いいよね」と。その買い物が本当に欲しいものかどうか、冷静に確認する前にポチッとしているあの瞬間。
あれ、実は「消耗した心」が引き起こすストレス消費なんですよね。
疲弊→無駄遣い→罪悪感→また頑張る→疲弊
このループ、抜け出せないまま何年も続けている人が、私の周りにも少なくありませんでした。
さらに怖いのは、このストレスが身体にも影響を与えるということ。
眠れない夜、原因不明の胃の重さ、なんとなく続く倦怠感。
「ちょっと疲れてるだけ」と思っていたそれが、長期間の精神的緊張から来ていることがあります。そしてそれが医療費という形で、また家計を圧迫するのです。
「見栄には、複利でコストがかかる 」
そう気づいたとき、愕然としました。
「誰かのために持っている物」に気づいた日
部屋を見渡してみてください。
あなたの部屋にある物の中に、「来客があったときのために」「誰かに見せるために」「これを持っていないと恥ずかしいから」という理由で存在している物、ありませんか。
私の場合、それは食器棚の奥にあるティーセットでした。
誰かが来たとき用に、ちょっと奮発して買ったものです。
でもそのティーセットが我が家で登場したのは、買ってから一度だけ。あとはずっと棚の奥でいつ来るかわからない出番を待っています。
「なんで持ってるんだろう」と思いながらも、なかなか手放せなかったのです。
捨てたら「ものを大切にしない人」みたいで。ものの側からすると、使わないものを持ち続ける人の方が「ものを大切しない人」なんでしょうけれど。
捨てたら負けるような気がして・・。一体誰と私は戦っているのでしょうね(笑)。
そのとき気づいたんです。私の部屋には、私じゃなくて「誰か」のために存在している物が、思っていたよりずっとたくさんあることに。
これは終活でも、実は現代でもとても深刻な問題になっています。
「立派に見える生活」を維持しようとして物が増え続けた結果、将来それを整理する羽目になるのは自分か、あるいは遺された家族です。見栄のために溜め込んだ所有物は、未来の自分から「身軽に動ける自由」を奪う枷になっていくのです。
今の負担だけじゃなく、未来への負担も込みで、見栄にはコストがかかっているんです。
孤独が怖くて「薄い縁」にお金を払い続けていた
もう一つ、正直に打ち明けると、私はかつて、「誘いを断ると仲間外れになるかもしれない」という恐怖から、行きたくない飲み会にずっと参加し続けていました。
楽しくないわけじゃないのです。でも、心から楽しいわけでもない。
「付き合いだから」「断ると関係が壊れるかも」という義務感で、4,000円や5,000円を払い、貴重な休日前の夜を過ごしていました。
そういう「孤独を避けるための出費」は、意外と馬鹿にならないんです。
でも冷静に振り返ると、そういうことでつながっていた関係って、本当に大変なときに助けてくれるかというと、正直そうでもないのです。
本当に「この人といると楽だな」「話すと元気になるな」と思える人は、飲み会でもごはんでも、誘われたら自然と行きたくなるし、お金を払うことへの後悔がありません。
「人付き合いを選ぶことは、お金の使い方を選ぶことと同じくらい、人生に影響を与える」
そう気づいてから、私は「断る練習」を始めました。最初は罪悪感がありました。でも断った後にひとりで静かに過ごす夜の解放感は思っていたよりずっと、気持ちのいいものでした。
「自分軸」で生きるってそういうことかもしれない
Cちゃんとの電話に戻ります。
「なんでお金が残らないんだろう」と悩んでいた彼女に、私はこう聞いてみました。
「先月の出費、全部自分のために使ったもの?それとも誰かの目を意識して使ったものがある?」
少し沈黙があって、「……ある、かも」と彼女は言いました。
「来月、試しに一個だけやめてみたら?」
特定の飲み会を断ることでもいいし、来客用の食器を処分することでもいい。
「流行ってるから」じゃなく「好きだから」で買うことでもいい。
何か一つ、「他人の目のための出費」をやめてみる
それだけで、不思議と心がすーっと軽くなる瞬間がやってきます。
専門家がよく言う「価値観の棚卸し」というと難しく聞こえるけれど、それはこういうことだと思うんです。自分が本当に幸せを感じる瞬間を思い浮かべて、それに関係のない出費には「×」をつける、それだけだと。
頭だけではなく、一度紙に書き出してみると、驚くほどはっきり見えてきます。
「あ、これ、別に私が欲しかったわけじゃないな」という出費が、思っていたよりずっとたくさんあることに。

見栄を手放すと何が手に入るか
お金の話だけではありません。
見栄を捨てると、まず「時間」が戻ってきます。
気の進まない付き合いを断れるようになるから。
次に「エネルギー」が戻ってきます。
「よく見せたい」という緊張から解放されるから。
そして最後に「本当の自分」が戻ってきます。
他人の基準じゃなく、自分の心が「いい」と感じるものを選べるようになるから。
見栄を捨てることは、ノイズだらけになった自分の人生をすっきり整理すること、それだけなのです。
月45,000円浮いたお金をどう使うか。旅行、勉強、老後の備え、誰かへのプレゼントなど。
「他人のため」ではなく「自分のため」に使えるお金は、同じ金額でも、まるで重みが違います。
使ったあとに残るのが罪悪感ではなく満足感になる、それだけで、毎日の景色がずいぶん変わってきます。
まず「引き出し一つ」から

難しく考えなくてもいいのです。
今日、家に帰ったら引き出しを一つだけ開けてみてください。
「誰かのために持っている物」「見栄で買ったけど使っていない物」が一つでも見つかったら手放してみましょう。
その小さな「手放す」体験が、少しずつ執着を解いてくれます。
物を手放すたびに「私にはこれがなくても大丈夫だった」という実感が積み重なっていきます。そしてそれが、次の買い物のときに「これ、本当に必要?」と立ち止まれる力になっていきます。
Cちゃんはあれから少しずつ変わっています。先月、「気が進まない同期会を断った」と報告してくれました。「断ったら気持ちがこんなに楽になるとは思わなかった」と、少し驚いたように言っていました。
そうなんです。思っているよりずっと手放しやすいのです。
人生は、足し算ばかりじゃなくていいと私は思います。「あれもこれも」と抱え込むより「これだけは」と絞り込むことが、実は豊かさに繋がることもあるからです。
引き算が、豊かさになることもある
他人の目に払い続けてきたお金を、これからは自分の人生に使いましょう。
そのための第一歩は、今日の「引き出し一つ」からでいかがでしょうか。
